みぎて
歩いて手術室に入り、名前と生年月日を告げた。「今日手術するのはどちらの胸ですか?」「右です」と答えると、前日付けてもらった右胸の印を医師が確認した。手術台に仰向けになった。涙が溢れてきた。頭上近くにいた看護師さんがガーゼで涙を拭いてくれたが、涙は止まらない。何の涙か分からない。「麻酔入ります」という声が手術室内に響く。左腕から熱いモノが侵入してきた。数秒で麻酔が効き、意識と記憶は一時停止した。
2017年2月。健康診断を受けた翌日、電話が来た。
「先生がもう一度マンモグラフィーを撮りたいと言っているので今から来れますか?」「今からですか?」。その時、私は仙台に来ていて「明日なら行けます」と答えると、「必ず来てください」と念を押された。
翌日、マンモグラフィーを撮りに行った。そのタイミングで「最新の機器が入ったばかりで、あなたが記念すべき最初の方です!」「どうしてこういう時に、そんなこと言うかなぁ」といら立った。「最短で精密検査を受けに行ってください。乳がんの疑いがあります」。医師はため息混じりに終始うつむいたまま言った。そうじゃなくて、「がんの疑いがあるけど、今の医療は素晴らしいから何も心配しないで検査を受けに行ってほしい」とか、なんでもっと前向きな気持ちになれるように言えないの? 私はまたいら立った。本当はただ怖かった。おびえている自分をごまかせるのは、いら立ちしかなかった。結果、初期の乳がんと診断された。乳がんに罹患する人は10人に1人とか8人に1人とか言われているけど、いざ自分がそう診断されると、「死」という文字しか出てこなかった。見事に何もやる気が湧かない。というか、何も手につかない。食欲もなく、好きなビールさえ飲む気にならなかった。なんてもろくて、ちっぽけなんだと、今思えばそんな時ぐらい自分を甘やかしても良かったんじゃない?というくらい、自分の存在を微塵のように思った。
手術の翌々日からリハビリが始まった。22㌔あった右手の握力はゼロになった。これじゃあ、カメラのシャッターすら押せない。焦ったところで、握力はすぐには回復しないのに、思い通りにリハビリのメニューをこなせず投げやりになっていた。
そんな時、実習に来ていた看護学校の学生さんがポケットからメモ帳を出し、ひらがなで「みぎて」と縦に書いた。その横に「みらい」「ぎょうてん」「てるてるぼうず」と書き足した。さっぱり意味が分からない。「超意味分かんないですよね?けど、面白くないですか?」。じわじわと笑いがこみあげてきた。意味不明な語呂合わせだったけど入院して、いやがんと診断されてから初めて笑った。手術から3年がたったが、半年に一度の精密検査は精神的にまだ慣れることができない。乳がんは手術後10年、転移・再発がなければ一定の区切りになる。まだ先は長い。後ろ向きな気持ちになっていら立ちそうになった時は「みぎて、 みらい ぎょうてん てるてるぼうず」を思い出している。
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